ルーシーママのスペイン便り

ルーシーは2009年にマドリッドに近い村で生まれたトイプードル、ママはえらい昔、日本に生まれ、長い間スペインに住んでるおばはんです。

2012年2月9日 ガルソン判事に有罪判決、11年間の判事資格剥奪

前回ブログをアップしたのは、グルテル事件会話傍受裁判が1月18日に結審した直後。ガルソン判事が被告としてTS(最高裁)で進行中の3件の裁判の内、最初に結審したのがこの事件でした。

そして、2件目の史記憶法裁判の公判が1月24日から始まり、口頭弁論が行われ、2月8日に結審しました。検察は「背任罪を適用する根拠が一切存在しない。TSにてこの告訴を受理したこと自体も不可解である。」と主張する一方、原告側の弁論は法的根拠にも論理性に欠けるという印象が強く、原告側の求めるガルソン判事の判事資格剥奪はまずないだろうというのが大方の見方でした。

そんな中、翌2月9日、最初に結審してTSの判事による審理が行われていたグルテル事件会話傍受裁判の判決が出ました。
TSの7名の裁判官は全員一致で「ガルソン判事は有罪、11年間の判事資格剥奪」という結論を出しました
ひょっとして、いやまさかそんな・・・と思っていましたが、こういう結果が出たという現実に、やはり驚きを禁じ得ないです。スペインを二つに分けた内戦とその後の独裁時代は未だに終わっていなかったのかいな?、という感じ。勝った側と負けた側、加害者と犠牲者という意識を乗り越えてスペインは近代的で民主的な法治国家になったのだと思っていましたが、それはただの絵に描いた餅だったのでしょうか。なんか、凄く、重々しい気分です。
TSは有罪判決の理由として、「容疑者と弁護人の会話傍受は、全体主義的な国家権力を盾にして容疑者の弁護権を犯すことであり許されない。法の下では何人も平等であるべき。」としています。思わず、そんならTSは全体主義的な国家権力を司法の場に持ち込んで既得権を守ろうとする力に加担してるんじゃないんかい?とツッコミを入れたくなるような文面。正に、El Mundo Al Reves!

判決を受けて、ガルソン判事は文書にて声明を発表。その概要は、「有罪とする法的根拠が不明、容疑者が自らを弁護する権利の不可侵性を論拠としている一方で、予審段階において被告であるガルソン判事およびその弁護人が多数回に渡り弁護側の証拠提出を申請したにも拘わらずその全てが却下されたこと、口頭弁論において弁護側の証人による証言が一切採用されていないことなどの矛盾はどう説明するのか。この裁判は最初から結論が決まっていて、そこに至るために必要とされる適当な素材とプロセスを適当な時期に採用しながら法的体裁を整えたに過ぎない。判決は全く受け入れられないものであり、可能な限りの全ての手段を駆使してこれを覆す意向である」というもの。

法曹界や司法専門家などからもこの判決に対す疑問や批判の声が聞かれる一方、判決発表後の世論調査の結果、一般市民の61%が「これは裁判ではなく、タブーとされるテーマに踏み込んでしまった判事を排除するために隠然だる力を持つスペイン社会の一部が仕掛けている圧力」と見ていることが明らかになっています。

大学教授など法律の専門家や元最高裁判事などが指摘するこの判決の矛盾点;
1.会話傍受という手段は、刑事訴訟法代51条2項に基づいて、捜査の現場では司法的手続きを踏んだ上で採用されている例がある。それらの中には、容疑者側から告訴請求される例もあるが、そのほとんどに関して検察は立件せず、裁判所も受理していない。受理されても「背任罪」が成立した例は今まで皆無。今回の裁判も検察側は「犯罪性なし」として当初から立件不可としていたが、TS担当判事の主張によって受理された経緯がある。この判決は「更なる犯罪を防ぐために必要と判断し、司法的手続きを踏んで行った判事の捜査自体を背任行為と判断した」スペイン初の判例だが、なぜ他の判事の捜査で成立しなかった背任罪がガルソン判事の捜査では成立するのか?
2.会話傍受の指示は、ガルソン判事だけでなく、当時の検察官およびガルソンの後を継いで捜査を担当したTSJM(マドリッド高等裁判所)のペドレイラ判事も同様に指示したが、これら2名は背任行為を問われず、なぜガルソン判事だけが背任罪となるのか?

全ては周到に用意されていたのでしょうか。(A)歴史記憶法裁判で有罪の判決を下すにはスペイン社会や国際世論を納得させる説得力に欠ける。(B)傍受裁判の場合は「容疑者の基本的人権を守る」という名目で正論を主張すれば、世論の一部を見方に付けられる。だから(A)の判決よりも(B)の判決が先に出る必要があった。(B)で判事資格を剥奪してしまえば、(A)がどのような形で進展しようと、もう二度と過去の歴史を掘り起こすことはできないし、ガルソン以外にはそんな奇特なことをしようという判事は現れない。また、多くの汚職事件捜査において、巨大な既得権をもつ階層と癒着している組織的汚職網の捜査では証拠不十分で不起訴にせざるを得ないケースが多い中、今回の判例ができたことで、会話傍受など刑事訴訟法の解釈ぎりぎりの法的手段を採ってまで捜査を続けようという判事はいなくなってしまう。グルテル事件の容疑者も遅かれ早かれ「疑わしきは罰せず」ということで無罪放免となる可能性が高い・・・・


色んな意味で、このTSのガルソン判事に対する判決は、非常に大きな意味を持つものです。
タブーを犯したものが眼に見えない力によって抹消されることの恐ろしさ。
その意味を、私たち一般市民もよく考えるべきだと思います。

今、31年間の判事生命を絶たれたガルソン判事は、そのうちの21年間を全国管区裁判所の判事として様々な事件の捜査を指揮してきましたが、判事としての半生で唯一、別の世界に足を踏み入れたのが、1993年の総選挙でマドリッド選挙区から社会党候補リストナンバー2(ナンバー1は首相のFelipe Gonzalez)として出馬した時のこと。当選して国会議員となり、第四期フェリペ・ゴンサレス政権では内務司法省の麻薬犯罪部門の長官(政務次官に相当)に任命されています。南米とスペインを舞台に暗躍する麻薬犯罪組織の捜査を続けていた判事は、現行の刑法や刑事訴訟法ではこれら組織犯罪との戦いに限界があることを痛感し、立法や行政の立場からこれと戦おうと考えたと、後に述べていますが、政治の現場における汚職に対するモラルの低さに失望したとして、1994年5月に政府のポストを辞任し、下院議員も辞任、1年間休職していた全国管区裁判所判事のポストに戻った次第でした。後にガルソン判事は政治の世界に身をおいたのは間違いだった、自分がやるべきことは司法の場にしかなかったと公言しています。

ETAだけでなく国家テロGALとの戦いも含めたテロリズムとの戦い。GAL事件では4期続いた社会党政権の暗部にメスを入れ、フェリペ・ゴンザレス首相の失脚を招くことに。麻薬を始めとする密輸組織、国際犯罪組織、組織的汚職などとの戦い。人道的犯罪においてスペイン人犠牲者が存在する場合にはスペイン国外においても捜査権を有するとの解釈に基づき、チリの元独裁者ピノチェを追及、同様にアルゼンチン軍部独裁時代の人道犯罪も追及した一連の裁判によって南米を中心にその知名度は世界的なものになりました。

アンタッチャブルやタブーに屈することなく法の裁きを実践したジョバンニ・ファルコーネに憧れて判事になったというガルソン氏、彼自身も様々なタブーや不可侵域に踏み込んで、それまで誰も行わなかった捜査を展開してきただけに、既得権力をもつ様々な社会層にとっては非常に不愉快な存在だったことでしょう。

TSの判決が出た直後、ガルソン氏の3人の子供の一番下の娘さん、マリアは、「今日、シャンパンで乾杯しているあなた方へ。この判決によって私たちは傷つきましたが、決して屈したわけではありません。私たちは正しいことをしていると確信しているので、とても穏やかな気持ちで未来を見つめています。」という趣旨の声明をオープンレターという形で発信しました。1975年11月20日フランコが亡くなった日、内戦以来36年以上、負け組みとしてじっと息を詰めて耐えてきた人たちが密かにシャンパンで乾杯したと言われていますが、あれからさらに36年以上が過ぎた2012年2月9日、法治国家スペイン、歴史記憶法を成立させた民主国家スペインで、タブーを犯して犯罪捜査をしようとした判事がその判事生命を絶たれた日、既得権力の勝利を密かに祝う人たちがたくさんいたことでしょう。