ルーシーママのスペイン便り

ルーシーは2009年にマドリッドに近い村で生まれたトイプードル、ママはえらい昔、日本に生まれ、長い間スペインに住んでるおばはんです。

メモ(2) 2010年5月14日ガルソン判事職務停止命令

(2010年5月に書いた記事)

● 2010年5月14日ガルソン判事職務停止命令
法律とは何なのか、法という武器を使うことを許される者とは何なのか、と考えさせられた日。

史記憶法に関するコメントを書き留めてから、1年半が過ぎた今日、全国管区裁判所のガルソン判事から各自治州の高等法裁判所に委ねられた内戦時およびフランコ独裁政権下での犠牲者に関する捜査と共同墓地の発掘はどうなっているのでしょう。
捜査権限を自らに否定してしまった州もあれば、保留にしている州もあるし、実際に発掘を進めている自治州もあるようですが、ガルソン判事が進めようとした全国共通のシステム化された捜査は立ち消えてしまったかに見えます。
史記憶法と犠牲者発掘に関するこの一件はこのまま風化していくかと思われましたが、今年になってガルソン判事がグルテル事件でPP(民衆党)内にはびこる汚職網を摘発し始めると、新たな動きが見られました。

まずは、2010年5月14日にガルソン判事がその判事としての職務停止を命じられるまでの経緯をまとめてみましょう。

注記:現在(2012年1月)最高裁で進行中のガルソン判事を被告とする裁判3件に、1)2)3)と番号を付帯
1)2007年制定された歴史記憶法に基づきフランコ独裁政権下の人道犯罪に関する捜査を行おうとしたガルソン判事に対して、1977年の特赦法を無視した背任行為として極右団体が起こした訴訟

2009年5月27日、極右団体「マノス・リンピオス」が最高裁判所に対しガルソン判事を告訴。その理由は2008年10月14日に「スペイン内戦下およびフランコ独裁時代に行方不明になった人々の捜査を行う権限がある」と宣言したガルソン判事は1977年の特赦法を無視し、本来自分に帰属しないと知っていながらその捜査権限を主張して捜査を強硬したとし、同判事の「背任行為」を主張するもの。

2009年5月30日 この告訴を受け、ガルソン判事は最高裁判所に対して「同裁判の捜査権限主張は背任行為には当たらない」と主張する控訴を提出。

2009年6月17日 検察局による「ガルソン判事の判断は背任には当たらない」とする意見にも拘わらず、最高裁判所はガルソン判事の控訴を棄却した。

2009年6月24日 さらに別の極右組織「リベルタ・エ・イデンティダ」が同じ訴えを最高裁に提出し受理される。最高裁は同法廷にてガルソン判事の背任罪を問う裁判を行う権限ありとの決定を下し、裁判開始を決めた。

2009年9月9日 最高裁にてガルソン判事が証言。
この2日前9月7日に、国際司法委員会はこの事態に対して「スペインの最高裁が全国管区裁判所判事の捜査権に関して裁判を行うことは、裁判官の職務の独立性を保証する国際法を侵すものである」として遺憾の意を示す声明を発表。

2010年1月13日 さらに極右政治政党フェランヘが同じ内容でガルソン判事を告訴し、受理された。

2010年2月4日 3件の私訴による刑事訴訟として最高裁刑事法廷にて裁判が行われることとなり、担当のルキアノ・バレラ予審判事は「自覚の上で特赦法を無視し、その適用を避けたことによる背任」という理由で手続きを開始。

2010年2月9日 現役の判事が被告とされる裁判が始まったことを受けて、司法最高機関であるCGPD(司法評議会)において、ガルソン判事の「全国管区裁判所判事としての予防的職務停止」を検討するための手続きを開始。

この時点で、上記以外にも2件(* 記事末尾に概略明記)ガルソン判事が被告となる訴訟が最高裁で受理され審理が進行しているが、ひとりの判事に対する訴訟を最高裁で同時に3件も受理・審理されるのは前代未聞。メディアあるいは革新系政党からは、グルテル事件捜査を続行させないため、ガルソン判事を刑事訴訟の被告にしてその職務を剥奪するために、法曹界に大きな力を持つ保守勢力が圧力をかけていると糾弾する声が上がっています。


2010年2月10日 フランコ独裁政権下の人道犯罪に関する捜査をガルソン判事が行ったことに対する刑事訴訟を中止するようにとする検察の要請を、高裁のバレラ予審判事が拒否したことに対し、ガルソン判事はこれを最高裁の評議会に控訴。

2010年2月25日 最高裁評議会はこのガルソン判事の控訴を棄却、これによってガルソン判事が被告として出廷することになるこの裁判が開始された。

2010年4月7日 ガルソン判事側は最高裁のバレラ判事に対してこの裁判続行判決の基となった予審捜査における証拠の開示を求めたが、バレラ判事はこれを却下。
同時にバレラ判事は原告側に対して正式な訴状提出を命じた。この訴状作成に当たり、原告側が作成した訴状の不備部分に関してバレラ判事自らが訂正箇所を指摘し添削・修正まで示唆するということが行われ、この異例の処置が物議を醸した。

2010年4月28日 ガルソン判事側は、原告側の訴状不備を判事自らが訂正示唆した行為を指摘し、バレラ判事はこの裁判を担当する「公平性を欠く」として、最高裁に対して同判事の忌避を求めた。
この忌避申請は、一旦は受理されたが、最終的に最高裁はこの忌避申請を却下。

2010年5月12日 フランコ独裁政権下の人道犯罪に関する捜査を行ったことによる背任を問う裁判の公判が始まり、同判事が法廷で尋問された。

2010年5月14日 CGPD(司法評議会)の緊急会議が招集され、18名の評議員の全員一致の採決により、ガルソン判事の職務停止処分が決定された。現役の判事が刑事訴訟裁判の被告となる公判が開始された場合、これは法に則った手続きであり必然的な結果であると、CGPDスポークスマンはコメントしている。


スペインにおける司法手続きの矛盾が生み出した今回の最高裁におけるガルソン判事を被告とした訴訟公判を憂慮したり、批判する声が国外の司法専門家や国際司法機関から多数聞かれる中、ハーグの国際刑事裁判所の検察長官オカンポ氏から国際法における人道犯罪に詳しいガルソン判事を同裁判所の検察庁顧問として迎えたいとのオファーが提示されました。これを受けたスペイン政府外務省は問題なしとしたものの、CGPDはこの件を許可するかどうかの検討を先延ばしとする裁定を5月14日に下しました。CGPD内のリベラル派評議員らがガルソン判事をハーグ国際刑事裁判所へ出向させる許可の決議を同判事の職務停止処分決定決議より前に行うことによって、すくなくとも屈辱的な形で判事を全国管区裁判所から立ち退かせることを避けようと試みたのですが、それも徒労に終わってしまった訳です。

奇しくも、フランコ独裁政権下における人道犯罪に関する捜査を進めていたガルソン判事自らが、まさにそれら人道犯罪に関わっていた極右政党や組織によって告訴され、被告として法廷に立たされ、そして今その判事としての職務からも追われてしまいました。
 El Mundo Al Revez(あべこべの世界)がここにも存在します。

もちろん、独裁政権下の犠牲者の家族をはじめとする多くの組織、司法関係者、学者や教育関係者、労働組合、芸術家団体などから今回の最高裁およびCGPDの裁定に対する抗議行動が起こっています。スペイン以外の国々でもその動きは見られ、5月15日の世界各国の主要紙にもこの記事が掲載されています。日本の新聞ではどうだったのでしょう。

2008年10月に歴史記憶回復連盟や独裁政権下の犠牲者家族団体の訴えを初めてくみ上げて全国管区裁判所において捜査を開始する判断を下すまでに、同判事は人道犯罪に関する国際法に照らし合わせて多くの判例を蒐集して同裁判所評議会に提出していました。

2008年11月28日、全国管区裁判所刑事法廷総評議会が「ガルソン判事にこの捜査を指揮する権限が無い」という裁定を下した時、17名の判事のうち3名は「権限がある」という反対票を投じていました。今回のガルソン判事背任訴訟を認めるならば、国際法にある裁判官に対して法解釈の相違に基づく刑事責任の追及はないという考えが覆されることになり、ひいては前述の裁定で反対票を投じた3名の判事にも背任の責任が問われるのかという矛盾が生じるとして、法曹界には今回のCGPDの決定に批判的な声も上がっています。

また、スペインの全国管区裁判所の一判事の立場から、複雑な国際法を巧みに解釈して人道犯罪追求の捜査を進め、チリの独裁者ピノチェ将軍の逮捕を実現したガルソン判事が、自国スペインのフランコ独裁政権下の犠牲者の名誉回復のための捜査を始めた途端に、次々と障害に立ちはだかられ、ついには判事の職務を剥奪されてしまったこと、そしてそれらの障害は他でもない、人々を守るために作られた法律という武器を使うことを許された特定の人たち、つまりガルソン判事と同じ裁判官たちによってもたらされているという事実。2008年には、民主憲法制定30年周年を迎え、民主国家スペインは世界の先進国の仲間入りをしたと思われていました。経済力と文化を育み、洗練され華やかな外見をもつようになった法治国家スペイン、しかしそのスペインのレントゲン写真を見せられたら、そこにはたくさんの不気味な影が写っていた、そんな気分にさせられたここ最近の出来事です。そしてもっと不気味なのは、そのレントゲン写真を見せられても何も感じない人がたくさんいるらしいこと、また感じないように誘導しようとする意志が存在するらしいことかも知れません。

私たちは皆、自分が目にしたり、耳にした「現実」を基に考えます。でもそれらは誰かが何らかの価値基準にそって選択した情報によって構成された「現実」であって、真実ではない。となると、その価値基準や選択プロセスになんらかの「意志」が加わった場合、その意志を見極めようとする力をもたないと、全てはその「意志」によって繰られ思うままに流されてしまうのでしょう。

昨年ヒットしたスペイン映画「Camino」はひとつの真実が見る人によって全く異なる現実になることを見せ付けてくれました。

パレスチナイスラエルの紛争。これでもかこれでもかと残酷な情報がつきつけられる。
ソマリアの果てしない内戦。部族抗争、宗教抗争、お金と権力、多くの犠牲者、映像と数字による膨大な情報を突きつけられ、やがて皆辟易して耳や目を塞ぎたくなり、「なぜこの紛争は終わらないの?どんな意志がこの悲劇を生んでいるの?」と考えることを止める。
アフガン侵攻、イラク侵攻。「悪の枢軸がそこにある」と何百回・何千回と聞かされるうちに、証拠は?なぜそう言えるの?と考えることさえ止めてしまった私たち。
金融危機、経済危機、緊急救済措置、公費投入・・世界中が右往左往して2年が過ぎ、ようやく景気回復しつつあるかに見えるものの、結局は投機的操作で世界中の株式市場がかき回されるメカニズムは全く変わらず、無責任な投機的風評で一企業や一国の財政をズタズタにすることさえできてしまう。ここにも目に見えないなんらかの意志によって翻弄される危うい世界があるのでは?

ガルソン判事がフランコ独裁政権下の人道犯罪にメスを入れてから1年半、私たちが情報から得る「現実」は司法的手続きが生んだ結果の積み重ねでしかありません。法律を解釈して裁判を行うのは裁判官。最高裁憲法裁判所、司法評議会などで評議判決を下すのも裁判官。そしてこの司法手続きの積み重ねである軌跡をじっと見つめると、なんらかの意志によって描かれたシナリオが浮かび上がってくるのではないでしょうか? 



(*)この件の他に最高裁で進行中のガルソン判事を被告とする裁判2件

2)ニューヨーク大学講演にかかわる収賄容疑
2009年3月9日、ニューヨーク大学の要請で同大学においてガルソン判事が行った一連の講演セミナーで、そのスポンサーとなったサンタンデール銀行グループからガルソン判事が賄賂を受け取っていたとして、同銀行頭取の政敵の弁護士らが原告となってガルソン判事を最高裁に告訴したが、証拠不十分のため受理されなかった。ところが、2010年3月、同弁護士らが再度同じ訴えを最高裁に提出したところ、これが受理され、現在、最高裁にてガルソン判事が被告となる裁判の公判が進行中。ボティン頭取もガルソン判事も賄賂収受を一切否定、ニューヨーク大学もスポンサー費用は銀行から直接大学に支払われておりガルソン氏を経由していないと主張している。


3)グルテル事件、違法会話傍受命令による背任容疑
さらに同じく2010年3月、ガルソン判事が進めていた大掛かりな汚職網摘発捜査グルテル事件の黒幕であるフランシスコ・コレア氏側の弁護士が、ガルソン判事を最高裁に告訴、その理由は、拘留中の容疑者とその弁護士の会話を傍受する命令を、汚職防止検察局の要請を受けて同判事が違法と知りながら下したとするもの。グルテル事件では、最大野党民衆党の党内および同等が与党となっている複数自治州における贈収賄をガルソン判事の指揮で捜査していたところ、多数の民衆党議員が容疑者として浮かび上がってきた。国会議員および自治州議会議員らはその議員特権があるため、全国管区裁判所での捜査権を、自治州議員の場合はそれぞれが属す自治州であるマドリッドバレンシア高等裁判所へ、国会議員の場合は最高裁判所へそれぞれ権限委譲することになっていた。バレンシア州のカンプス知事も容疑者として法廷に出廷するかと見られたが、カンプス知事の旧知と言われる同州の高等裁判所判事は最終的に証拠不十分として審理を中止。一方、マドリッド州の高等裁判所では、捜査を続行し、多くの証拠が確保され、容疑者として具体的に名前の挙がった国会議員、州議会議員、民衆党幹部などが次々と辞任。さらにはそのつながりからバレンシア州政府の要人への容疑が再浮上、検察の要請を受けて最高裁が介入し、バレンシア地裁での裁判が再開される可能性も出ていた。そんな中、ガルソン判事の会話傍受命令に対する被告側弁護士からの最高裁に対する告訴が受理されたことによって、マドリッド高等裁判所の捜査において問題の傍受によって得られた証拠の大部分が無効とされた。