ルーシーママのスペイン便り

ルーシーは2009年にマドリッドに近い村で生まれたトイプードル、ママはえらい昔、日本に生まれ、長い間スペインに住んでるおばはんです。

グランビア散策とシベレス宮(Palacio de Ciberes)

12月15日(木)突然ですが、今日はマドリッド市内を東西に走るGran Via界隈からPlaza de Ciberesまで歩いて、マドリッド市長さんがいらっしゃるPalacio de Ciberesを見てきました。

Gran Via造成プロジェクトから今年で101年
1900年ごろ、マドリッドはスペイン国王の宮廷とスペイン国行政府があるだけの場所でした。 遅まきながらも産業革命の波が押し寄せる中、金融や産業の中心地としての都市インフラが決定的に欠如していて、その必要性に迫られていました。国王アルフォンソ13世自らがパリやロンドンなどの欧州諸都市に追い付き追い越せという意気込みで進めた都市計画の一環として、1910年Gran Via造成の壮大なプロジェクトが始動。
既存家屋300戸、既存の道路15本を取り壊し、29.000メートルにおよぶ石畳と9000メートルにおよぶ歩道を造成。Plaza de Ciberesに近いMetropoliのビルから第一期工事が始まり現在Mcdonaldのあるあたりまで約5年、その後第二期工事が1917年からやはり5年がかりで現在のPlaza de Callaoまで、そして第三期工事で現在のPlaza de Espanaまで到達して完成したのが1931年。
もちろん車道と歩道の造成だけでなく、上水道、下水道、ガス電気線地下敷設などのインフラ整備も同時に行われ、造られた大通りの両側にはその時代の最先端建築技術と流行の建築様式を取り入れた美しい高層ビルが続々と建設されることになります。
歴史が下って70年代から30年近く、Gran Viaがすたれていた時代がありましたが、ここ最近の都心再生化計画の下、修復が施されたり、長年の汚れをキレイに洗い落とされたりして、ほとんどのビルが建設された当時の美しい姿を取り戻しています。昨年2010年はGran Via誕生100年を記念するイベントがマドリッド市役所主導で行われました。

2043 Gran Via1番地あたりからアルカラ門(Puerta de Alcala)を見たところ、右手がスペイン中央銀行(Banco de España)でその奥がPalacio de Ciberes。


2138 Gran Via1番地あがりからアルカラ門を見たところ、前の写真後同じ場所ですが、夜のとばりがおりてイルミネーションが付いたところ。


2045 MetropolisのビルとGlassyのビル、プロジェクトの一番最初に建設された建物。現在はサンタンデール銀行が所有するMetropolisビル、私個人的には大好きな建築物のひとつです。

2139 Glassyビル前からイルミネーションの点灯したGran Viaを望む

2046 Gran Via100周年を記念して造られたGranViaプロジェクトの模型

2047 MetropoliビルをCirculo Bellas Artes側から見る

2048 右手は聖ヨセフ教区教会

2049 左手、現在はInstituto Cervantesが入っているビルもAntonio Palacioの建築デザインによるもの。

2055 かつて陸軍本部(Cuartel General de Ejercito)があった広大な敷地は現在は防衛省に所属。

2053 防衛省施設の前庭にこんな可愛らしい手作りのBELENがありました。

2054 シベレスの噴水とPalacio de Ciberes

2064 1919年完成時の逓信宮(Palacio de Comunicacion)*2054の裏側にあたる位置から


2056 シベレスの噴水とスペイン中央銀行

2057 シベレス広場からアルカラ門を望む


スペインのモダニズム建築
Gran Viaの両側に続々と時代の最先端を行くおしゃれなビルが建設されますが、ここで活躍したのが多くの建築家たち。そして時はモダニズムの頃。
スペインのモダニズムといえばなんといってもカタルーニャモデルニスモ、そしてそれを代表するのは個性的な天才Antonio Gaudi(1852-1926)。Gaudiに関しては既に良く知られているので今更説明の必要もありませんが、彼以外にもモデルニスを代表する建築家として挙げられるのがカタルーニャ音楽堂を造ったLluis Domenec i Montaner(1850-1923)やEls 4 Gatsで有名なJosep Puig i Cadafalch(1867-1956)。
モデルニスモという文化現象、当時台頭してきたブルジョア層が芸術家のパトロンとして存在していたという背景があります。これらブルジョア層にはキューバで大きな財をなし、そのお金でカタルーニャ帰国後に起業した実業家たちがいました。GaudiのパトロンEusebi Guellの父Juan Guellもその一人。また、Eusebi Guell岳父(妻Isabelの父)Antonio Lopez Lopezもキューバで財を築き、スペイン帰国後に海運や金融の分野で大きな力を持ち、海軍輸送など国家にも貢献したことからアルフォンソ13世によりコミリャス侯爵の称号を授かった人でした。19世後半から20世紀初頭、産業と金融の目覚ましい発展を遂げて、ブルジョア市民らの力によってカタルーニャ独自のモデルニズモが花咲く頃、マドリッドでは文化や芸術を牽引するような市民層の力は未だ存在せず、あくまでも国王や国家が推し進めるプロジェクトとしての建築ブームが開花、その典型がGran Via造成プロジェクトでした。
富裕市民層のバックアップで才能ある芸術家たちが作り出した自由でリベラルなモデルニスモに対して、同時代にマドリッドで活躍したアーキテクトらの作品はナショナリズム的傾向が強く、プラテレスコ様式やエレラ様式などスペイン独自の建築様式を取り入れたモダニズムともいえるものも見られたようです。最も代表的な建築家としてAntonio Palacios(1876-1945)が挙げられますが、Palacio de Comunicacion(現在はPalacio de Ciberesと呼ばれマドリッド市庁舎のある建物)、Banco del Rio de Plata(現在Instituto Cervantesとなっている建物)、Circulo Bellas Artesの建物、Hospital de Jornarelosなどが有名です。



Palacio de Comunicacion(逓信宮)からPalacio de Ciberesへ
スペインの首都マドリッドを行政府と王家の宮廷があるというだけの場所から、金融や産業の中心としての役割を担う立派な都市にしようというアルフォンソ13世の壮大な都市計画の一環として、1907年に着工されたのがPalacio de Comunicacion(逓信宮)。郵便システムや電信技術の進歩に伴い、そういった当時の先端技術を集約した情報処理センターを建設する構想が1904に発表され、多くの建築家が応募、採用されたのはその4年前に建築学校を卒業したばかり、若干28歳のAntonio PalacioJoaquin Otamendiのコンビの作品。巨大な建築物でありながら重々しさを感じさせず、カテドラルのようにまるで天に向かって伸びていくような美しいシルエット、繊細な縦のラインに多くの彫刻が施されているこの建物、私は個人的にはマドリッドの街で一番好きな建物です。シベレスの女神と噴水と一緒に見るとほんとうに美しい絵になります。30年近く前、初めてスペインに来た時、小包を送るために行った中央郵便局がこの逓信宮でしたが、郵便局があまりにも壮大で美しいことに度肝を抜かれたものでした。
余談ですが、当時は日本円をペセタに替えてくれるところはほとんどなく、逓信宮の道を隔てた隣、スペイン銀行の両替部門に出向くしかなかったのですが、これがすごい物々しさでした。機関銃を肩から掛けTricornioという三角形の黒いエナメル帽子をかぶった治安警察官(Guardia Civil)が立っている前を通っていくのですが、23-Fのクーデターで見たGuardia Civilの姿を思い出したりして、結構どきどきしたものです。それから数年後、日本経済の目覚ましい成長のおかげで、ほとんどの市中銀行で喜んで円を両替してくれるようになりました。
ところで、その逓信宮、2003年にマドリッド市が買い取っちゃいました。おかげで中央郵便局は郊外へ移転、とても不便になってしまいました。EUから補助金がどんどん入ってくるわ、不動産バブルで景気はいいわで、気が大きくなったのか、マドリッド市長Gallardon氏、M-30環状線を地下に埋めてその上に緑化公園を造る「Madrid Rio」と呼ばれた壮大なプロジェクトと同時進行で、それまでPlaza de la Villaにあった市庁舎と市議会をこの逓信宮に移すことにしました。ただ移すだけじゃなくって、外観をキレイに磨き上げ、内部を大々的に改装し、かつて存在した建物中央のパティオをガラス天井で覆う、という壮大なプロジェクトをぶち上げたのです。

バブリーな時代にバブリーなプロジェクトをたくさん立ち上げたものの、スペインらしくほとんどのプロジェクトが当初の予定を予算的にも時間的にもオーバーし、完成しないうちに不動産バブルが崩壊、追い打ちをかけるようにリーマンショック。「Madrid Rio」も「Palacio de Ciberes」も昨年の地方選挙前までになんとか滑り込みセーフで完成。そしてGallardon市長もめでたく市長選を勝ち抜き第三期目に突入しましたが、マドリッド市民に残されたものは、緑化公園とPalacio de Ciberesと財政赤字マドリッドはスペインで最も巨額の財政赤字を抱える地方自治体となってしまいました

バブルの時代には、「Madrid Rio」以外にも「都市整備計画」のおかげで街中いたる所が掘り返され、広場や通りが一新されました。多くの樹木を切り倒し、緑や芝生のあった場所は石やタイルやセメントで覆われ、新古典主義のクラシックな街灯は眼を射るような光を発する無機質なデザインの街灯に替り、緑が無いので夏は灼熱広場となり、雨が降ってもそれを吸い込む芝生も樹木ないので滝と化して低い方へ流れ、排水溝のキャパを超えて道路に水があふれ出る街になりました。

Madrid Rioプロジェクトのおかげで、箱庭のような凝ったデザインの緑地がたくさんできました。すべてがとても人工的なデザインで造られているので、できたばかりの時は素晴らしい景観です。でも、時が経つと、きちんとしたメンテナンスができないと、噴水やら遊び場やらがあっという間に汚れてしまい、とても小さい子供を遊ばせることなどできない状況になりそうです。従来の芝生と樹木と植物を植えて造った公園なら最低のメンテナンスさえすれば芝生や植物や樹木の持つ自然な力が緑地を保ってくれるのに、なぜ人間が常に作為的に力を加えてメンテナンスせざるを得ないような公園を造ったのやら。きっと何年か後に答えがでるのでしょう。





CentroCentro文化センター
さて、そんなGallardon市長肝いりのプロジェクトで完成したPalacio de Ciberes、今年7月から建物の中央部分を文化施設とし、CentroCentroと命名して、市民に公開したと聞きました。中央部の最も高い時計台の下に展望台を設置し、そこにも無料で登れるようになったとか。
市民の血税をたっぷり投入して生まれ変わったこの建物、是非見に行かねばと思っておりまして、今日ようやく訪れた次第です。
8階にある展望台(Mirador de Torre)からのながめは最高です。

2135 シベレス広場を見下ろす、右手の緑地が旧陸軍本部敷地、真ん中左手がスペイン中央銀行


2134 北に延びるカステリャーナ大通り(Paseo de la Castellana)奥に小さくCuatro Torresと呼ばれるマドリッドの高層ビル群が小さく見えます。


2126 北西を望むと、はるかかなたにグレドス山脈。この寒さだともうすぐ頂きが雪で覆われることでしょう。


2132 東を望むとレティロ公園の広大な緑地、その奥のPiruliの愛称を持つTVE(スペイン国営テレビ)のビル、当のなかほどはサテライトスタジオ。


2131 南を望むと奥にCerro de los Angeles(天使の丘と呼ばれる場所、頂上に教会があるのがこの写真で解るかなぁ)、スペインの地理的中心地点、すべての道路がここを起点にしているのだそうです。


2130 北東を望む、いわゆるサラマンカ地区。真ん中あたりに見える白い塔はゴヤ通りにあるコンセプション教区教会(Paroquia de la Concepcion)の白亜の尖塔。この教会、私の大好きな建物のひとつです。


2129/2133 かつてのパティをを覆うガラス天井


2090/2091 ガラス天井を下から見たところ


展望台は無料なのですが、展望台アクセス用チケットというのを専用窓口で並んで手に入れないと登れません。展望台が開いている時間は10h30−13h00と16h30−19h30、窓口が開くのが10h15からと16h15から。展望台へは6E 階まで行き、そこでまた列について待って88段の階段を上っていきます(足の悪い人用に6E階から展望台までの特別エレベーターあり)。展望台までのアクセスは15分ごとに約50名ずつとか。このシステム、非常にややっこしくて非合理的、もっとシンプルでスピーディーなやり方があると思うけどなぁ・・・。
展望台から6Eに降りると、まず6階はレストラン。最低45ユーロというランチメニューにびっくりして中には入りませんでしたが、あまり展望レストランという感じではなく、スペースの一部に展望可能な場所があるっていう感じの様です。市役所の建物で、市民の税金使って造った場所なのに、なんでこんなにセレブな(少なく料金はセレブ過ぎ)レストランなのか?納得できない。
5階、4階、3階、2階は中央部分が吹き抜けのひろいスペースにキャットウォーク的な空中回廊があるデザイン。吹き抜けに面している内装や天井はすべて建築当時のネオプラテレスコ様式を再現している一方、各階のギャラリー部分は建設当時の基礎建築部分である鉄骨構造が意図的に剥き出しのまま残されていて、その鉄骨が造る空間に各階で異なるテーマの展示が行われていました。いずれの階の展示も、写真や映像がほとんどで、ほぼ無人スペース。巨額の財政赤字を抱える今、あまりお金をかけるべきでないと、このプアな展示にも納得。

2067/2068 5階ギャラリーから吹き抜けを望む、天井はオリジナルの再現。

2072/2095 下への移動はたぶん建設当初からのオリジナルと思われるクラシックで美しい階段。模様セラミックの腰板と大理石のステップ。


2074/2075/2076 4階部分にある空中回廊から見る内部装飾、圧巻です。



2073/2082 ギャラリー内側(吹き抜けから見えない側)は鉄骨構造剥き出しのスペース、この空間に階によってことなる展示物が置かれています。


2077/2080 ギャラリー外側(吹き抜けに面した側)



2階メインフロアにはインフォメーション、広い読書スペース、カフェテリアなどがありますが、建物が美しいだけに、無駄にあり過ぎる空間がなんとも悲しい感じ。ちなみに、やたらに広い読書スペースは無料WiFiを使えるそうで、これは便利かも。


2084 3階ギャラリーから2階読書スペース一部を見下ろす



かつては毎年コロン広場の地下で展示されていた市役所所蔵のBELENが今年は12月1日から1月8日まではここCentroCentroのメインフロアの一角で、展示されています。

BELENの写真は後日ご紹介しましょう。




さて、CentroCentroを見終わった感想・・・
すっごいお金とすっごい時間をかけて改装した割には、中身の薄い感じ。
せっかく立派で美しい外装と内装があるのだから、もうちょっと気の利いた形で利用して、市民がアクセスしやすい展望台にすればいいものを、もったいない!と感じました。展望台へ上るシステムを改良し、展望台脇にやたら余っているスペースを利用して庶民的な料金で利用できる展望カフェテリアを作るとかお土産品売り場を設置するとか、市民も楽しみながら市側にも収入につながるような工夫、結構考えられるのに、なんか残念。あと、無駄に広いメインフロアに案内スタッフいっぱいいるのに、なんだかスタッフ同士の私語が多くて、来訪者が質問してもよく答えてもらえない感じが、なんなんかかなぁ・・・スペインのデパートで店員さんに商品を渡して「お金を払わせて頂きたい」とお願いする時と同じ感じですかね。
結論、もっといろいろ、要領よくできる点がいっぱいあるのにねって、管理責任者にお伝えしたい気分になってしまいました。


2136 夕陽をうけてピンク色に染まるPalacio de Ciberes