ルーシーママのスペイン便り

ルーシーは2009年にマドリッドに近い村で生まれたトイプードル、ママはえらい昔、日本に生まれ、長い間スペインに住んでるおばはんです。

「市場」至上?システムと15-M運動

毎日、これでもか!っていうくらい晴天の日が続いてます。日本のように蒸し暑くはないので、太陽は痛いくらい照りつけますが日蔭に入れば涼しいし、やっぱり抜けるような青空は気持ちいいです。
水不足だけが心配ですが、今年は冬から春にかけてたくさん雨が降ったおかげで、十分な貯水量があるらしく、あまり節水の話は出ませんねぇ。

ところで、ここ数日、テレビや新聞を騒がせているテーマ・・


1.投機思惑に翻弄されるスペイン経済
スペインとイタリア国債のプレミアムリスクの記録的上昇とアメリカ国債の格下げによる金融市場の混乱。更なる市場の混乱を避けるためにG7諸国の協調介入、そして欧州中央銀行[ECB]による西・伊の国債購入。こうした一連の介入は沸騰した鍋に氷の塊を入れるようなものだとか、対症療法であり根本となる原因を見ていないとか言う声も聞こえます。
そもそも、市場経済とはなんぞや?グローバリゼーションとはなんぞや?市場経済や政治の最終目的は特定の人々の利益追求なのか?そのために多くの人々の暮らしを犠牲にしていいのか・・・考えさせられる日々です。

ギリシャが破綻し、EUIMFが介入。為政者たちの怠慢と隠蔽と問題解決の先送り、そして市場経済を翻弄する「投機思惑」、結果として多くの犠牲を強いられることになったギリシャ国民。次の槍玉に上がったポルトガルもドラスティックな財政改革を余儀なくされ、そして今度は、スペインとイタリア。スペインは昨年来、EUIMFのプレッシャーの下、かなり突っ込んだ財政緊縮政策を進めて来ました。消費税を18%に引き上げ、公務員給与5%削減、年金受給年齢を65歳から67歳に引き上げ、中央政府の予算および各自治州への交付金の大幅な削減などなど・・・そして、スペイン経済がすこぉしずつ回復の兆しを見せ始めたかに見えた昨今、「市場の投機思惑」がスペインとイタリアの国債のプレミアムリスクを押し上げて、400ベーシスポイントを超えてしまいました。各国政府やEUがどんなに国債リスクを否定しても、「利益を損なうことに対する市場の危機感」を払拭することはできず、結局、ECBが両国の国債を購入すると発表して初めて、スペインのプレミアムリスクが200代に戻りました。

これとほぼ同時進行で、Standard & Poorが米国の国債格付けを最高のAAAからAA+に格下げした結果、世界中に不安が広がり、アメリカ国債の価値は下がり、アメリカ市場の株価も暴落。アメリカ国債債権者は世界中にあるから世界中の金融も大混乱。日本円は高騰し続け、日本の株式市場も値下がりが止まらない。オバマ大統領が「信用格付け機関が何と言おうと、アメリカ国債のAAA格付けはゆるぎない」と力説しても、別の格付け機関Moody`sがアメリカ国債はAAAだと発表しても、G7首脳による協調介入を図っても、市場の不安を払拭することはできない。お金を失うことに対する投資者の不安、つまり持てる者が更に富を得るための欲望が「投機的思惑」として世界経済を動かす、そしてその思惑を自由に翻弄しているかに見える信用格付け機関。世界に3つあるこの機関、Moody`s, Fitchと Standard &Poor`s、これらによる格付けはいったいどのような具体的根拠に基づいているのでしょう?機関によって格付けが異なるということは、絶対的に正しい評価基準など存在しないということでしょう。IT技術の進歩によってグローバル化した世界では、これら信用格付け機関がたったひとつランクを上げ下げするだけで、あっという間に全世界を混乱に陥れることが可能。ではいったいこれらの機関のモラルや価値基準をコントロールする国際法や機関があるのでしょうか?

スペインもイタリアも首相はバケーション返上で緊急会議を招集し、なんとか投機的不安によって掻き乱されている状況是正を図ろうと懸命です。各国の努力と協調介入が功を奏してか、なんとか金融市場と国債プレミアムリスクのパニックが落ち着きを取り戻し始めたかと思うと、今度は英・独・仏などユーロ圏の最高格付け諸国が標的に・・・フランスの国債プレミアムリスクがどんどん上昇。攻撃的な投機に対抗するため、11日(木)には、仏・西・伊・ベルギーが協調して金融商品空売りを禁止した結果、市場は少し落ち着いた状態で週末に入りましたが、イギリスはこの措置に反対を表明、ドイツはやるならEU全体でやらないと意味がないと言っています。コンセンサスを基にのろのろと動かざるを得ないEUとを投機的思惑によって凄い速さで翻弄される市場。

20世紀、世界は幾度かの戦争を経て、基本的人権法治国家、民主主義を手に入れました。国民ひとりひとりが自由にそれぞれの幸せを求めことができる世界を目指していたはず。自由経済市場経済の自由化・・・でもその果てにあったのは、市場でアグレッシブに利益を求めるスペキュレーションに翻弄される国家や企業、そしてそのつけを払わされるのは税金負担、社会福祉予算削減など、有無を言わせない形で負担を強いられる一般国民なのでしょうか。


2.スペインで根強く続く15-M、Indignados(怒れる者たち)運動。

マドリッド市の守護神である聖イシドロの日、5月15日、今年は日曜日でした。TwitterFacebook、Tuentiなど、いわゆるソーシャルネットワークを通じての呼びかけに賛同した多くの人々が「マドリッドのへそ」と呼ばれるPuerta del Solに集結し、「現在の政治・経済システムが生み出す不条理に対する憤り」を表明するデモを行いました。若者を中心に、当局の予想をはるかに上回る数の人々が集まり、「一切の暴力は排除しあくまでも平和的に」という理念のもと、広場では様々な活動が展開されました。その後、この広場にテントを張って長丁場の示威活動が続きました。

失業率が22%を超え、若年層の半分は職に就けないスペイン。大学を出ても就職できず、海外で活路を見出すか、季節労働のアルバイトを探すことができればまだラッキーな方。親の家に住み、将来が全く見えないという多くの若者たち。
もちろん、若者だけではありません。長年一生懸命働き、銀行からの住宅ローンでやっと念願のマイホームを手に入れたと思ったらバブルが崩壊、失業、そしてローン返済がままならないまま、銀行による家の差し押さえ。職を失い、住むところを失い、それでもローンは未だ残っている、社会福祉政策もどんどん縮小される中、路頭に迷うしかない多くの家族。

90年代のバブル経済の時代、急速にグローバル化する世界で、かつての世界金融恐慌から学んで作られた様々な決まりやコントロール機関を少しずつ骨抜きにしながら、目先の利益を貪欲に追及する投機思惑が全てに優先し、その利益追求を至上目的とするアグレッシブな経済政策が実行されて来た訳です。冷静に考えれば将来必ず破綻が来ると解ったはず、いや経済や政治を牛耳っていた人たちはそんなこと百も承知していたはずです。バブルが崩壊するまでの加速度的な経済成長の中で恐ろしく巨大な利益を得た人々が多くいたはずだし、当然、行政機関に入る税金の額も半端でなく大きかったはず。いわゆる専門家や政治家は、必然的にやってくるバブル崩壊や経済破綻を知っていながら、その日が来る前にできるだけ多くの恩恵を手に入れようとしていたのでしょうか、そんな日が近づいていることを知らず働き続ける一般市民のことなど全く考えもせずに。
そして、一旦バブルが壊れ、金融危機、経済危機 が起こると、「国の経済を担う銀行や基幹企業を潰すわけに行かない」という大義名分で、国民の血税を起源とする公費を投入。経済回復のため国民は我慢せねばならないと言われ続け、増税にも経費削減にも耐えて、ある日気づくと、破綻しそうだと言われた大手銀行やら大手企業は株主総会で史上最高の収益を上げたと決算報告をし、幹部役員らは天文学的数字の報酬をもらっている。一方で、その銀行から借りた住宅ローン返済が滞り、銀行を救うための血税を納め続けた国民が家を没収されて、路頭に迷う。法治国家に住み、市場経済のシステムの中で生きている以上、銀行と取り交わした契約書に小さな文字で書かれた条項に則って銀行側が法に訴え、家を取り上げ、さらに残ったローンの支払いを要求するという現実を避けることはできない。でも・・・・・何かがおかしくないか? 「利益の追求」が至上目的となり、ちゃんと働いてちゃんと税金を払っている普通の人々が幸せを求めることができないシステムなんて。
小さい時から「決まりを守らねばならない、法律を守らねばならない、人との約束を破ってはいけない」と教えられてきたけれど、今はたと思う。法律や決まりや約束が正しいかどうかは誰がどうやって決めるのか?と。もし法律やら決まりを作るプロセスにある特定の集団の利益が介入しているのだとしたら、それらの法律や決まりや約束自体をもう一度見直すべきなのではないのか?と。

ここ数年、こんな風に、なんかおかしくないか・・・・と思っていた矢先、昨年末にステファン・ヘッセルの「Indignez-vou(憤りなさい)」がミリオンセラーになっていると聞き、スペイン語版の「Indignate」を読んで、眼から鱗、と言う感じでした。でも、憤りや怒りをどういう形で表していけばいいのだろう?とも感じていました。5月15日のPuerta del Solから始まった「怒れる者たちの運動」「15-M運動」と呼ばれ、その後も紆余曲折を経ながら、当局の取り締まりと折り合いをつけながら、あくまでも平和的な形で、今もスペイン各地で続いています。

この運動を支持する人々が最も嫌い恐れていることは、主義主張など全くなく、どさくさに紛れて破壊行為や略奪行為を行う輩、いわゆるバンダリズムによる運動の汚染です。イギリスで起こっている破壊略奪行為を見るたび、平和裏に主義主張を示威する活動がいかに難しいかということを思い知らされる今日この頃です。




金はなくても家族が健康で、普通に暮らしていける、そしてかわいいルーシーがいる、そんな毎日に心から感謝せずにはいられません。



トイレにまで顔つっこんできて「ママ、あそぼ!」


やる気まんまん、お尻プリリン!


さぁ、こいや!


わかった、わかった、じゃ、ボケロン行くわよ!


しゅわっち!


洗濯台に干されてる大事な大事なボケロンを取ろうと必死のルーシー