ルーシーママのスペイン便り

ルーシーは2009年にマドリッドに近い村で生まれたトイプードル、ママはえらい昔、日本に生まれ、長い間スペインに住んでるおばはんです。

日本に行ってきました!


ながぁぁいご無沙汰でした。
7月4日から28日まで日本へ行ってきました。母の一周忌のための里帰りでしたが、その後、あちこち旅してきたので、その様子を綴ってみました。


7月13日 母の一周忌
回し焼香/焼香銭(百円硬貨)
母の一周忌の法要は自宅でしたのですが、頼みの綱の父はかなりボケが入っていて当てにならず、菩提寺のご住職様に色々お聞きして弟と私で準備を整えました。当日、お内仏にお経を上げて頂いた後、盆に載せた焼香が参列者に回されました。弟に「100円玉いっぱい持ってこい」と言われて訳もわからず財布から小銭を持ってきたのですが、回し焼香のお盆に百円硬貨を置くという風習があることを今回は初めて知りました。焼香が一周した後、この焼香銭を封筒に入れて志としてお布施と一緒にご住職様にお渡しするのです。インターネットで調べたところ、この風習は新潟県、石川県、富山県秋田県、長野県などの一部地域にあるとのこと。百円硬貨とは言え、知らないと焦りますね。



7月16日 近江八幡
甲賀市に住む友人と一緒に近江八幡市へ。JR駅からバスでまずは近江商人の商家が保存されている地区、新町通りへ。郷土資料館、旧伴家、旧西川家など見学。


半端でない暑さの中、流れる汗を拭きながら、少し歩いて、かつての琵琶湖水運の要衝として造られた八幡堀へ。堀に沿って白壁の土蔵が見えたり、両岸から桜などの老樹が枝を広げ、風情満点、時代劇のロケにも使われているとか。近江八幡は秀吉によって関白に任命された甥、豊臣秀次が長期的ビジョンで開発した商業都市。当の秀次は晩年にトチ狂った秀吉に翻弄されて非業の死を遂げますが、そのプロジェクトは近江商人によって実現された訳です。民にとって良い治世者が政争を勝ち抜けるとは限らない、これはいつの世も同じなのですね。

八幡堀の写真を見ると風流な感じがしますが、実は尋常でない暑さでした。日射病のリスクを感じながらさらに汗だくで歩き、近江商人の守護神として崇敬を集めた日牟禮八幡宮へ。あまりの暑さに手水、参拝もそそくさと終え、涼を求めて神社脇の日牟禮ヴィレッジたねやへ。古風な町家を再現した空間に冷房が効いていてほっと一息。席に案内されるのを待つ間、見るからに涼しそうな夏の水菓子で眼の保養。席に着くと早速、お茶とわらびもちのサービス。ランチは稲庭うどんセットを注文。さっぱりしたうどんにカリッと揚がった野菜てんぷら、デザートは葛の中にあんが入った涼しげなお菓子。

たねやの装飾


一息ついたところで、ロープウェイで八幡山の頂上へ。秀吉の命を受けてこの城を任され、城下の産業発展に心を砕いた在りし日の秀次を偲びながら、城跡の公園を散策。一角からは琵琶湖も見渡せました。
下りロープウェイの車内はなんと摂氏40度を超えていました!★
息も絶え絶えに、ふもと駅近くのクラブハリエへ。有名なバウムクーヘンを頂くために、行列の後ろについて待ちました。これが、やっとありつけたふわふわのバウムクーヘンです。




16日夜、暑い暑い京都で祇園祭りの宵山に行ってきました。八坂神社前から四条通りに入り、四条烏丸まで、すっごい人の波、人いきれと熱気。警察官の誘導で少しずつ進むのですが、暑いのなんの。人の波に押されながら提灯に灯の入った山鉾をを見てましたが、いやぁ〜、凄い暑さと人出。一生に一度で充分。
 


7月17日 長浜城
友人の家族と一緒に、琵琶湖西岸をひた走り、長浜へ。大河ドラマ「お江戸」のおかげで、今注目されている場所。どこにいってもヒコヤンと浅野三姉妹をモチーフにしたお土産がいっぱい。お城というと高いところに建っていると思い込んでいましたが、長浜城は平城だったのですね。ごく最近になって再建されたという天守閣に登って初めて、やっと琵琶湖を見ることができました。

天守閣からの眺め

黒壁スクエア



7月18日 東山山麓 
台風6号が九州に接近し、京都も朝から雨模様。そんな中、東山界隈の散策、まずは銀閣寺へ。東山文化を代表するこの慈照寺は、政争に飽いた足利義正が現実逃避した場所とか。将軍がわびさびの世界に没頭する一方、時代は応仁の乱へと突き進み、京の民は長い苦しみの時代を歩むことになった訳ですね。
雨模様とは言え、すごい蒸し暑さの中、外人親子4人連れが浴衣姿で観光していました。若い娘さん二人は着物に合わせて髪を結い、髪飾りを選び、とってもかわいらしかったし、でっぷりしたお母さんは、まるでどこかのお店の女将さんよろしく、着物が板についていて貫録さえ感じられました。お父さんは、ツンツルテンの浴衣の丈を翻しながら、首から下げたカメラで家族のために一生懸命シャッターを切ってました。


銀閣寺はさすが観光スポット、あいにくの天気にもかかわらず、多くの人が訪れていましたが、疎水に沿ってしばらく行くと、小雨の中に佇む法然院はひっそりとしていました。浄土宗宗祖の法然上人ゆかりの寺院、境内は苔の緑と鬱蒼たる樹木の緑に覆われ、雨に濡れて柔らかな光を放つ石畳の先には手入れの行き届いた墓地が整然と続いています。まるで別世界でした。


そしてすぐ隣には住蓮山安楽寺法然の弟子、住蓮と安楽の二人の教えに感化を受けた松虫・鈴虫の姉妹は御所を抜け出して出家、ここ鹿ケ谷の寺に駆け込んだ。これに激怒した後鳥羽上皇は建永二年[1207]の法難といわれる浄土宗弾圧を開始。住蓮と安楽は斬首、法然親鸞島流しの刑に処された曰くつきの場所。残念ながら参拝禁止となっていましたが、とても美しい佇まいの寺院でした。


暑さと疲れを癒そうと、哲学の道沿いにある洒落たテラスカフェで休憩。
蒸すような暑さにめげそうになりながら、さらに疎水べりを歩いて、南禅寺へ。臨済宗南禅寺派大本山で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つのだそうです。境内の一角には、琵琶湖の水を京都市内に運んだ治水プロジェクトの一環である、水道橋が見られます。楼門五三の桐、石川五右衛門の名台詞「絶景かな、絶景かな」で有名な三門を抜けて本堂へ向かう頃、雨脚が一気に強まり、車軸を流す勢い、法堂の軒下に駆け込んで雨宿り。この後、雨脚は一向に衰えず、止む無くタクシーに乗って帰りました。

 
雨にけぶる南禅寺

三門



7月19日 指宿
19日からJRパスをフルに活用する旅に出発! まずは山陽新幹線九州新幹線をつなぐ「さくら」に乗って、4時間で鹿児島中央まで直行。在来線に1時間ゆられて台風一過の指宿へ。
幸いなことに、指宿もそのあとの瀬戸内も遭遇を心配した台風6号の通過後に当たり、雨にも風にも遭わず、曇りのち晴れという感じ。
薩摩半島最南端の地、1000箇所以上で天然温泉が湧出しているとか。その多くが砂浜の地下にあり、そのおかげで「砂蒸し風呂」が有名。私は2日間で3回も入りましたが、10分から15分の砂風呂でドバーっと大量の汗が出て、その後は体の表も内も超すっきり爽快。アトピーの発疹も消えちゃいました。
休暇村の脇にそびえる魚見岳。旅情報パンフレットに「歩いて1時間くらいで行ける」とあったので、「そいじゃ、行ってくるべ」と出かけたのですが・・・・鬱蒼たる森の中をめぐる急な坂道は半分以上がずっと階段。行けども行けども終わりがない。汗だくになりながら登り続けること1時間半、たどりついた展望台からの眺めは、そこに至る苦労を帳消しにしてくれるほど素晴らしいものでした。遠く開聞岳大隅半島まで見渡せる一方、眼下には知林ヶ島が見下ろせる360度のパノラマ。


道路脇の可憐な花



向こうは大隅半島



魚見岳頂上から見た指宿全景



知林ヶ島



7月21日 多久野島
21日は瀬戸内海、芸予諸島のひとつ、周囲3kmという小さな島、大久野島へ。野生の穴ウサギがいっぱいの癒しのリゾートアイランドで、島には休暇村しかないの。うさぎたちがめっちゃひとなつっこくて超かわいい。でも、この島はかなりおどろおどろしい歴史を持つ島でもあります。インターネットで「大久野島 毒ガス」と検索すればすぐに解るのでよかったら見てください。子供たちがうさぎと戯れるのどかなビーチアイランドだけど、島のいたるところに過去の歴史の残骸が残されているし、毒ガス資料館や被毒者慰霊塔もあります。地図からも抹消されていた時期のあるこの島で起こったことを忘れてはいけないということなのでしょう。
休暇村の温泉風呂でチラチラと揺れる木漏れ陽を浴びながらのんびり湯につかっていると、70年前にこの同じ場所で、まだ年端も行かない少年少女たちが学徒動員で毒ガス工場に連れて来られ、何を製造しているかも知らされず、過酷な環境の中で働かされていたという事実が嘘の様。でもそれは、決して忘れてはならない歴史の1ページであり、その歴史が生み出したものは未だ終わっていないんですよね。


うさぎたち



べっぴんさんね


きみぃ、膝の上まで上がってくるなんて、抜け駆けはだめよ。



毒ガス貯蔵庫跡


毒ガス資料館



瀬戸の夕暮れ



7月24日 伏見稲荷
朱色の鳥居が延々と続く伏見稲荷、一度行って見たかったところ。凄い暑さでしたが、意を決して奈良線に乗って出かけました。本宮祭りの翌日に当たり、結構な人出。江原啓之さんの本を読んだ時「きつねのスピリットは怖い」という印象を受けていたので、伏見稲荷では「稲荷信仰」人気の凄さを目の当たりにして驚きました。延々と続くあの鳥居のひとつひとつが信者の寄付なんですね。柱の直径の太さによって下は数十万から上は数百万円。表からは「奉納」の文字しか見えないけど、反対側には会社名や役職、個人名などが記されてます。奉納とご利益、「Give & Take」、稲荷信仰とはある意味商人の契約のようなものなのでしょうか。
稲荷山の鳥居が続く道は全長6キロにも及ぶとか、半分も行けずにリタイアしましたが、あまりの暑さに生まれて初めて軽い熱中症を体験。これって、不信心者へのお稲荷様のたたりでしょうか?



7月25日 高野山
25日から1泊2日で高野山へ。人口3500のうち、1000人が僧侶という高野山町、1200年前に弘法大師が開かれた金剛峰寺の他にも、多くの寺院があります。その中でも名刹とされ、高野山世界遺産指定に貢献したとされる金剛三昧院の宿坊に泊まりました。このお寺は北条政子が夫、源頼朝菩提寺として建立したそうで、本尊の愛染明王の周りには、頼朝と政子の位牌の他に、足利尊氏の位牌も並んでいます。朝は、6時半から勤行に参加させて頂き、住職様のお話を聞くことができました。金剛峰寺、大伽藍を見学した後、奥ノ院へと続く長い参道の両側には、日本史に登場する錚々たる人物の墓所が見られました。織田信長明智光秀豊臣秀吉徳川家康、その他、ほとんとの戦国大名、江戸時代の大名家の墓所が点在し、それと同じ空間に、現代日本を代表する企業の名前を刻んだ墓碑が見られる、とても不思議な空間。あちこちでお墓の整備や清掃をしていた修行僧の方たちはちゃんと蚊取り線香持参しておられましたが、とにかく蚊が多くて、奥ノ院にたどり着くころには手や足が刺されてぼこぼこ。弘法大師様が入定された場所、御廟には熱心に祈りを捧げる多くの人の姿が見られました。こうして弘法大師さま三昧で過ごした高野山の1泊2日、つくづく日本の文化や宗教に関する自分の知識の無さを痛感しましたが、とても有意義な旅でした。
かつては女人禁制だったこの山、私たちみたいなおばさん連中が宿坊に泊まり、精進料理を運んで下さる修行僧の方に「お飲み物は?」と聞かれ、「ビール大瓶でお願いします」と言っているのを見て、弘法大師さまはびっくりしておられるんじゃないでしょうかねぇ。


弘法大師様の食事を運ぶ僧



奥の院への参道



金剛峰寺多宝塔



大伽藍へと続く道