ルーシーママのスペイン便り

ルーシーは2009年にマドリッドに近い村で生まれたトイプードル、ママはえらい昔、日本に生まれ、長い間スペインに住んでるおばはんです。

スペインの優良企業 + 秋の日のルーシー

今日は10月12日、イスパニアデー。まぁ、ある意味スペインの建国記念日のような日なので、スペイン国家、スペイン王家が前面に出てくる日です。例年のごとく、マドリッドの目抜き通りの交通を遮断して、国王が陸海空の全ての軍隊のトップとして謁見する軍事パレードが催されました。
東京で開催されている経済フォーラムでは、IMFから厳しいお言葉を頂戴し、Standard & Poorの国債格付けはさらにランクダウンという厳しい状況の中にあるスペイン。そんな中、財政赤字に苦しみ、様々な分野で予算カットを断行し、州民の不満が高まっているカタルーニャ自治州では、その財政赤字の原因が中央政府に徴収される税金に比較して自治州に対する交付金が少なすぎることにあるという考え方から、ならば国家として独立し財政運営も独自でやるべぇ、ということで9月以降、一挙に独立を支持する気運が高まっており、自治州政府の首長であり与党政党CiU党首Artur Mas氏は独立の賛否をという州民投票を目指すとしています。そんな中、今日、中央政府与党民衆党の呼びかけによるカタルーニャ独立反対のデモが行われました。民衆党によると65000人が参加、一方自治州警察によると参加者数は6000人とか、発表者によって桁が違うのは、いつものこと。



ところで、まったく話は変わりますが、先日、仕事の関係でスペインの優良企業をリサーチしたので、せっかくなのでその情報をここに載せてみようかと思います。
Web経済紙Webページに発表されていた、2010年度スペイン企業ランキングをもとに、次の表を作成してみました。2011年度の業績が発表されていた企業に関しては青字ですぐ下に並記しました。
石油とガスを中心とするエネルギーを扱う巨大企業Repsolははやりダントツ。しかし、収益率という点から見ると、桁外れの凄さを見せるのはTelefonicaグループ。この2社はいずれもかつての国営企業が民営化されたものですが、Telefonicaは90年代の機構改革、万人単位におよぶ大量の人員削減という嵐の時代を経て、現在では中南米を初め国外でのビジネスを拡大し、高い収益率を誇る国際的IT企業となっています。一方、民間人のたたき上げで伸びてきた企業として、El Corte InglesInditexが上げられます。また、Mercadonaも民間小売業の成功例。


スペインの優良企業(2010年度業績)2011年度の数字があるケースは青字で表示


さて、El Corte Ingles(エル・コルテ・イングレス)[ 以下ECIと表短縮表記]ですが、スペインを訪れた人なら誰でも必ず目にしているはずなのが、白地に緑と黒の三角形がならぶECIのロゴや買い物袋。スペインで唯一の百貨店(デパート)グループで、もともとはデパートとしての大型小売店を国内各地で経営していましたが、90年代後半から業態の多様化を図り、Hipercorと呼ばれる総合小売店、Supercorと呼ばれる食品スーパー、Opencorというコンビニなども展開すると同時に、Viajes el Corte Inglesという旅行会社を業界トップに成長させ、保険取扱業務なども精力的に拡大。現在ではデパートEl Corte Inglesが82店舗、Hipercorが約40店、Supercorが約100店、Opencorが約190店にのぼるとか。そのECIグループ、2011年度業績は前年比で売り上げ3.9%ダウン、営業利益18%ダウン、純利益34%ダウンという数字になっています。つい数日前の全国紙にこのECIの2011年度業績に関する記事がありましたが、要約すると「消費低迷の中、価格を下げて売り上げキープに努め、なんとか前年比3.9%減に食い止めたECI。一般小売店の売り上げが平均で前年比5.6%ダウンしていることから見れば、消費低迷の中でも消費者はECIを選択していることが解る。利益率が大幅に減少しており、株主に対する責務が最重要事項となる企業であれば経費削減のため人員整理などを断行すべきところだが、株式を上場せず同族内で株を所有するECI(内50%以上をRamon Areces財団が所有)は、人員削減を行わず、株主への配当金を減らすという経営方針を先の株主総会で議決した。」とのこと。売り上げダウンしているとは言え、ECIはヨーロッパで最大のデパートチェーン(2位はイギリスのMarks&Spencer)であり、世界では米国のSearsとMacy’sに次ぐ第三位の規模を誇る大型小売店です。
ところで、これほどの規模の企業でありながら、同族経営という形を取り続けるECI、そのルーツをちょっと見てみましょう。ここからしばらく、話が脱線してしまいますが、しばらくお付き合いください。



米西戦争前夜、1888年キューバにスペイン北部のアストゥリアス地方からJoseとBernardoというSolis兄弟がやって来て、当時Sederiaと呼ばれた、布生地を扱う店をハバナで開きました。商売は順調に伸び、2年後の1900、このSolis兄弟はスペイン人従業員のEntrialgoを誘って株式会社を設立。布生地だけでなく、ひとつの店舗の中に様々な異なる商品を扱う複数の部門を持つ小売店、つまりデパートの概念の原型となる大型小売店El Encantoを展開し成功を収めます。
このEl Encantoのハバナ店で責任者を務めていたのがCesar Rodriguezで、後に初代ECI社長となる人。Cesarは1882年、アストゥリアスの貧しい農家に生まれ、14歳にして移民としてキューバに旅立ち、最初は給仕や使い走り、やがて前述のSolis兄弟に見出されてEl Encantoで働くようになります。当時は非常に革新的な業態であったデパートというビジネスに才能を発揮したCesarは、1906年、24歳とう若さで店長に抜擢され、1910年にはメキシコに居た従兄弟のPepin Fernandezを、1920年には故郷アストゥリアスから甥っ子Ramon Arecesを呼び寄せて、彼の元でEl Encantoのスタッフとして働かせます。
El Encantoでは従業員のインセンティブとして会社の業績が好調な場合はボーナスが支給されましたが、それは現金支給ではなく、各社員の賞与を積み立てて行き、退職時に全額を払うというシステムを採用。社員の積み立て賞与は会社側も資金として活用できるというシステムだったとか。こうして、1929年にCesarがEl Encantoを退職したときには、大きな資産を手にしました。この資産を元手に、キューバで別のデパートを設立したり、現地の銀行にも出資。故国スペインでも、Banco Hispano Americano銀行に出資した他、1934年従兄弟のPepinがスペインに戻ってマドリッドにSecerias Carretasという小売店設立時には資金を提供し、1935年に甥っ子のRamon Arecesがスペインに戻ってマドリッドの街の小さな仕立て屋El Corte Inglesが入っていた店を買い取り小売店を開店する際もその資金を提供しました。ちなみに、El Corte Inglesとは、直訳すると「イギリス風裁断」つまり「イギリス仕立て」という意味。



さて、長い長い前置きでしたが、ようやくRamon Arecesさんの話にたどり着きました。
Ramonさんは1904年、アストゥリアスの子沢山の貧しい農家に生まれ、1920年、16歳で母方の叔父であるCesar Rodriguez氏をたよってキューバに渡り、El Encantoで働き始めました。1924年からはアメリカやカナダを回りEl Encantoの取引拡大交渉を行う叔父に同行し、実地でビジネスを学ぶ機会を得ました。1929年叔父が辞めた後もEl Encatoで活躍している時に、大恐慌が襲います。
1935年(31歳)、スペインへ戻り、叔父の資金援助を得てマドリッドで商売を始め、仕立て屋の入っていた小さな店舗を入手して小売店を創業。
36年から39年の市民戦争が終わり、戦後の物資が欠乏する中、叔父の物資調達力と資金援助によって1941(35歳)年、現在もECIの旗艦店があるプレシアス通り3番の建物を購入して店舗を拡大、El Corte Ingles S.A.という株式会社を設立。叔父のCesar Rodriguez氏が初代社長となります。デパートビジネスのノウハウと独自の物資調達ルートをもつ一族は着実に業績を伸ばし、1960年にはセビリアバルセロナビルバオなど地方にも店舗をオープン。
1973年(69歳)、Ramonさんは半身不随となり第一線を退き、甥のIsidoro Alvarez氏に社長の座を譲りますが、その後も会長として経営陣に残り、1976年に文化科学関連の研究活動への支援活動を主体とする組織、ラモン・アレセス財団を設立。1989年、Ramon Areces氏死去、子孫の居ない同氏は彼の所有するECIの株全てをこの財団に寄贈、現在もこの財団がECIの最大株主であり、この財団の終身管財人として指名されたのが現社長のIsidoro Alvarez氏。
1989年、名実共にCEOとなったIsidoro Alvares氏は90年代にECIの地理的拡大を行い、21世紀に入ると顧客のニーズに合わせて業態の多様化や、旅行・保険・エンタメ・ITなど様々な分野にグループ企業を創り垂直構造の充実にも努めました。
そんな中、1995年、ECIの歴史の中の大きな出来事がありました。

1934年スペインに戻ったCesar Rodriguezの従兄弟Pepin Fernandezが叔父の支援を得て開業したSederia de Carretasは、順調に業績を伸ばし、総合小売店(キューバのEl Encantoを手本として)をスペイン国内の諸都市に増やし、1968年にはマドリッドのプレシアス通り(ECIの隣)に大型店舗をオープンしたことからその名をGalerias Preciados(今後GPと略す)グループと呼ばれました。ところが、GCはアグレッシブなビジネス戦略の失敗から大きな負債を抱え、1979年に銀行Banco Urquijoの手に渡り、その後1981年にRumasaが買収し、デパートビジネスを展開しましたがうまくいかず、経営破たん寸前に。非常に多くの従業員を抱える巨大企業GPを破綻させられないという理由から1983年、生まれたばかりの社会党政権が国家による強制接収を断行。その後、内外の投資家の手を経るも、経営状態は改善せず、1992年以来、事実上の破産状態となっていました。そんなGPを救ったのが他ならぬかつてのライバルECI.。GPの22の大型店舗を買収し、リフォームしてECIに組み入れ、かつてのGPの従業員もECIに吸収。

こうして拡大したECIは、2001年からHipercorを展開。同年、スペインを撤退したMarks&Spensorのビジネスを継承。
現社長Isidoro Alvarez氏は、メディアに現れることを好まない、非常に静かな人だとか。確かにInternetで検索しても彼に関する情報はなかなか得られません。しかし、経営者としては世界的に高い評価を得ていることで有名なのだそうです。
スペインに住んでいると、困ったときの神頼みならぬ、困ったときのEl Corte Ingles、とにかくここに行けば探しているものが見つかるという感覚はあります。ただねぇ・・・店員さんたちが、もうちょっと商売っ気を出してくれるといいんですがねぇ。レジに品物を持って行ってお金を払うお客の方が、まるでお役所の窓口でお願いしているような気分。店員さん同士のおしゃべりが止むのを忍耐強く待っていると、日本のデパートの接客が恋しくなったり致します。




キューバが出てきたので、余談ながら・・・
今年の9月21日Diada(カタルーニャ自治州記念日)以来、にわかにカタルーニャ独立の気運が高まっていますが、スペインで唯一重要な産業革命が起こったカタルーニャ、そしてその産業革命を牽引した力を考える時、19世紀前半のキューバを思い起こさざるを得ません。その頃、周辺の旧スペイン植民地の国々が次々と独立する中、最後の砦としてスペインが大量の軍事力を投入して死守していたのがキューバ。スペインをはじめとするヨーロッパとの交易の拠点でもあったキューバで、欧州との取引や、当時拡大しつつあった砂糖黍プランテーションに関わっていたクリオーリョと呼ばれたスペイン系富裕層は、周りの国々のようにスペインからの独立を渇望してはいませんでした。16世紀から続いていた奴隷貿易、19世紀後半になると、欧州の国々で次々と、まずは人身売買禁止、その後奴隷制度廃止が法律で定められて行き、スペイン本国でも1837年にようやく奴隷制度廃止令が出されました。しかし、本国では違法でも、アフリカ大陸からアメリカ大陸へ黒人奴隷を運ぶ貿易はなおも継続され、最後の植民地となったキューバを拠点とし、大規模プランテーションの労働力としても必要とされてました。このような奴隷貿易によって巨大な富を築いたスペイン人の中に、Joan Guell y FerrerやAntonio Lopez y Lopezがいると言われます。
Joan Guell y Ferrerは1818年にキューバに渡り、この種の貿易で活躍した後、1835年にスペインはバルセロナに戻ってその資産を投入し、金属工業、繊維企業、鉄道建設などをはじめ多くの事業を起こし、カタルーニャの産業振興、産業革命を牽引する力となった人。彼の息子Joan Guell y Bacigalupiも父の後を次ぎ実業家となり、奇才の建築家Antonio Gaudiのスポンサーとして知られています。
Antonio Lopez y Lopezは1831年キューバに渡り、海運を中心とした様々な事業を展開し、その中にこの種の貿易が含まれていたと言われています。1850年代にスペインに戻り、バルセロナを拠点として、海運、銀行、たばこ、鉄道など様々な事業を展開すると同時に、政府の軍人や武器をアフリカ大陸へ輸送する事業を担当。1878年、国王Alfonso XIIIからコミリャス侯爵の爵位を与えられ、イエズス会士Tomas Gomezが設立したUniversidad Pontificia Comillasに出資。

カタルーニャにおける産業革命と経済発展を牽引したこれら企業家たちの功績を称え、現在のバルセロナの街の通りの名称に名が冠されたり、彼らの彫像が街の広場に建造される一方で、その莫大な富の源が奴隷貿易によるものであることを非難する市民団体からはこれらの彫像撤去や公道の名称変更などを求める声も挙がっているようです。奴隷貿易の存在も消し去ることのできない事実であると同時に、これら実業家たちの貢献なくしてカタルーニャ、ひいてはスペインの産業近代化がなかったのもまた歴史上の事実。
そして、その貿易によって多くのスペイン人富豪を生み出した奴隷制度がキューバにおいてようやう法律で廃止されたのは1886年になってからのことでした。
1889年、米西戦争でスペインはアメリカに敗れ、かつて日の沈まない国スペインの植民地の最後の砦として残っていたグアム、フィリピン、プエルトリコキューバが全てアメリカの手に渡りました。これによって、15世紀から始まったスペインとポルトガルによる帝国主義が完全に破綻し、産業革命に支えられた新しい帝国主義にシフトした訳です。



昨日、仕事で久々にバルセロナに行きました。Paseo de GraciaやRambla de Catalunyaなどを歩いて、広々とした道路の両側にガウディやモンタネールやカダファルチを始めとする建築家によるカタルーニャモデルニズムの美しい建築物が立ち並ぶ様を見ると、やはりマドリッドとは違うダイナミズムを改めて感じます。マドリッド市内のモダニズム建築も私はとても好きなのですが、バルセロナの街には、国王や政府主導のプロジェクトから生まれたものとは全く違う、大きなエネルギーが満ちているように思えてしまいました。





ある秋の日のベランダのルーシー

おぃ、ルーシー、ご機嫌斜めかい?


別に・・・

コピート(ルーシー一番人気のぶんなげおもちゃ)投げて欲しいだけなんですけど・・・

投げてよぉぉぉ

投げました。

ちょ、ちょ、こっち来い・・・

スフィンクスルーシー(顔でか!)